トリスタン びっくりプリプリ!
我がホームの某ゲーセンに、経験値3倍の赤いガンダムトライエイジの筐体が!
それでは明日もライダーガッツ!
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私がこのブログで書いてきた諏訪の神々シリーズだが、昨年の9月から全く更新をしていなかった。根っからの筆不精であるのがここでも発揮されてしまったようである。
先日、久しぶりに諏訪に行ったのを機にまた諏訪の神々シリーズを続けてみたいと思う。
昨年の7月に2泊3日で諏訪を巡った。
その記録(途中だが)を下のリンク先に記してある。
第1日目 諏訪國二宮小野神社、矢彦神社編
第2日目午前 再び矢彦神社、洩矢神社、藤島神社編
第2日目午後パート1 八剱神社、足長神社編
第2日目午後パート2 手長神社、再び小野神社編
第3日目 パート1 諏訪大社下社 春宮編
第3日目 パート2 諏訪大社下社 秋宮編
下社春宮・秋宮の後には上社前宮・本宮に行ったのだが、番外編として諏訪大社上社・下社ともにある御射山(みさやま)を紹介したい。
まずは下社の御射山だが、昨年の7月ではなく先日の5月4日に訪れた。
下社の御射山は2つあり、1つ目は平安時代から室町時代永禄年間まで御射山神事を行っていた旧御射山(もとみさやま)である。
旧御射山は下社から東北の距離約20キロを隔てた霧ヶ峰の八島ヶ原湿原にある。八島ヶ原湿原は標高1600mにある国の天然記念物であり、我が国では最も南にある高層湿原である。
旧御射山に行かれる方にアドバイスをしたい。旧御射山近くには駐車場はなく、八島ヶ原湿原ビジターセンターの無料駐車場を利用していただきたい。普通車なら数十台は駐められる大きな駐車場である。地図で旧御射山を見ると、近くにビュッテがあり、道がつながっているように見えるが、ここはビュッテの私有地であるので通行は禁止である。
湿原の入り口から旧御射山までは下の写真の木道を歩き30分ほどである。
5月の高層湿原はまだ冬色であったが、嬉しいことに野生のキジを見ることができた。
その湿原の東側に御射山神事が行われていた旧御射山が広がっている。
御射山神事とは御射山と呼ばれる諏訪社の社領原野で行われる狩猟神事である。信濃武士、甲斐武士だけではなく鎌倉・室町幕府の重臣達も参加をした。
狩猟だけではなく武人の腕試しとして流鏑馬なども行われており、大祝(おおほふり)以下神官だけではなく、この祭りだけは百姓も侍の武芸を鑑賞できたという。いわば日本版コロッセオとも言おうか。
段状の丘陵は狩猟を観覧するための桟敷と思われていたが、近年の説では狩猟を行う侍が寝泊まりをする簡易宿舎である穂屋を建てるためのスペースであったとも言われている。
段丘の上から旧御射山社を眺める。900年前から約400年間ここで毎年、兵どもが獲物を追っていたと思うと感慨深いものがある。
社の手前には水源があり小川となり湿原へと流れていく。
下社での狩猟神事は大祝が信濃国造家の金刺氏の時代までで、金刺氏が上社諏訪氏との戦いで敗れ、武居氏大祝になると御射山神事は場所を霧ヶ峰から秋宮近くの武居入に移し、幼児(二歳児)の健康を祈願する祭りと変化をした。
ここよりは現御射山社である。
上社の御射山神事ではウナギを川に放つらしいが、下社御射山では池にドジョウを放ち子供の健康を祝う。
池より山を登ると御射山を詠んだ様々な歌碑(一茶が多い)がある。
森は深く、ここではさすがに狩猟はできなかったであろう。
矢板で作られた階段を登るとやがて社が見えてくる。御射山社である。
左から兒宮社(このみや)、御射山社、八千矛社である。幼児の健康を願うため兒宮社が置かれているものと思われる。
ここでも社の横から湧き水が出で、小川となり池に注がれていた。
人々の願いは水を通して神に伝わるのであろうか…
次回は上社の御射山を紹介したいと思う。
本記事はカール・ベームが1966年にバイロイト音楽祭で指揮をしたトリスタンとイゾルデの第1幕と第2幕を聴きながら書きました。