火花さまざまな種類と豊富なラインアップ
テレビが壊れてから
ネットでドラマを観たりしてますが
私はやっぱり日本のドラマが好きなんだなぁって??
選択肢は山ほどあります。
けど、しっくりくるのは
やっぱり日本のドラマ
DNAが そうさせている感じ(*´?`*)
久々に 観たい!!と思う映画が 23日から
上映されます♪
映画館のスクリーンでって事ではなく
早く観たいの、早く??
『 火花 』
主演のお二人が
「 浅草キッド 」唄ってます。
楽しみ?
今ほど火花が必要とされている時代はない
コロサイ人への手紙 その6
「1.このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
2.あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。
3.あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。
4.わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。
5.だから、地上の肢体(したい)、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲(どんよく)を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。
6.これらのことのために、神の怒りが下るのである。
7.あなたがたも、以前これらのうちに日を過ごしていた時には、これらのことをして歩いていた。
8.しかし今は、これらいっさいのことを捨て、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を、捨ててしまいなさい。
9.互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
10.造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。
11.そこには、もはやギリシャ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人(びと)、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。」
「コロサイ人への手紙」第3章1節~11節
感想
>1.このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。
因みに、最後に天に上げられる記載があるのは、「マルコによる福音書」と「ルカによる福音書」だけである。そのうち、神の右に座すという記載があるのは「マルコによる福音書」である。
「15.そして彼らに言われた、「全世界に出て行って、すべての造られたものに福音を宣(の)べ伝えよ。
16.信じてバプテスマを受ける者は救われる。しかし、不信仰の者は罪に定められる。
17.信じる者には、このようなしるしが伴う。すなわち、彼らはわたしの名で悪霊を追い出し、新しい言葉を語り、
18.へびをつかむであろう。また、毒を飲んでも、決して害を受けない。病人に手をおけば、いやされる」。
19.主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。
20.弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言(みことば)に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった。]」
「マルコによる福音書」第16章15節~20節
ところで、クリスチャンの方に訊きたいのだが、イエスは何ゆえ2000年間も天国に留まっているのだろうか。私の理論では、タイムワープの途中なのでペテロやパウロを見殺しにはしていないと思っているが、普通に考えれば史上最大の詐欺師である。何を根拠に信仰しているのだろうか。http://seishonyumon.com/words/3057/
また、この記載があるから「ヨハネの黙示録」の「御座にいます方」を「天の父」と考えて「ほふられた小羊」をイエスと考えるのだろう。しかし、「ヨハネの黙示録」の第1章の初めに、
「1.イエス・キリストの黙示。この黙示は、神が、すぐにも起るべきことをその僕(しもべ)たちに示すためキリストに与え、そして、キリストが、御使(みつかい)をつかわして、僕ヨハネに伝えられたものである。」
「ヨハネの黙示録」第1章1節
とあるので、イエスは別格である。ほふられた小羊とは次元が違う。
「1.わたしはまた、御座(みざ)にいますかたの右の手に、巻物があるのを見た。その内側にも外側にも字が書いてあって、七つの封印で封じてあった。
2.また、ひとりの強い御使(みつかい)が、大声で、「その巻物を開き、封印をとくのにふさわしい者は、だれか」と呼ばわっているのを見た。
3.しかし、天にも地にも地の下にも、この巻物を開いて、それを見ることのできる者は、ひとりもいなかった。
4.巻物を開いてそれを見るのにふさわしい者が見当らないので、わたしは激しく泣いていた。
5.すると、長老のひとりがわたしに言った、「泣くな。見よ、ユダ族のしし、ダビデの若枝であるかたが、勝利を得たので、その巻物を開き七つの封印を解くことができる」。
6.わたしはまた、御座と四つの生き物との間、長老たちの間に、ほふられたとみえる小羊が立っているのを見た。それに七つの角と七つの目とがあった。これらの目は、全世界につかわされた、神の七つの霊である。
7.小羊は進み出て、御座にいますかたの右の手から、巻物を受けとった。
8.巻物を受けとった時、四つの生き物と二十四人の長老とは、おのおの、立琴と、香の満ちている金の鉢(はち)とを手に持って、小羊の前にひれ伏した。この香は聖徒の祈である。
9.彼らは新しい歌を歌って言った、「あなたこそは、その巻物を受けとり、封印を解くにふさわしいかたであります。あなたはほふられ、その血によって、神のために、あらゆる部族、国語、民族、国民の中から人々をあがない、
10.わたしたちの神のために、彼らを御国(みくに)の民とし、祭司となさいました。彼らは地上を支配するに至るでしょう」。
11.さらに見ていると、御座(みざ)と生き物と長老たちとのまわりに、多くの御使(みつかい)たちの声が上がるのを聞いた。その数は万の幾万倍、千の幾千倍もあって、
12.大声で叫んでいた、
「ほふられた小羊こそは、
力と、富と、知恵と、勢いと、ほまれと、栄光と、
さんびとを受けるにふさわしい」。
13.またわたしは、天と地、地の下と海の中にあるすべての造られたもの、そして、それらの中にあるすべてのものの言う声を聞いた
「御座にいますかたと小羊とに、
さんびと、ほまれと、栄光と、権力とが、
世々限りなくあるように」。
14.四つの生き物はアァメンと唱え、長老たちはひれ伏して礼拝した。」
「ヨハネの黙示録」第5章1節~14節
「御座にいます方」がイエスにふさわしいだろう。「ほふられた羊飼い」だったら私もイエスで納得するが、小羊である。一般信徒だろう。念のため、「ヨハネによる福音書」にはイエスの事を「神の小羊」と例える場面があるが、それは「神の子」という意味である。従来のクリスチャンは全てを曖昧に考え過ぎである。思い込みが激しい。
また、ノストラダムスの2巻46番の詩。
Apres grand troche humain,plus grand s'appreste.
Le grand moteur les siecles renouvelle,
Pluye,sang,laict,famine,feu,& pest;
Au ciel veu,courant longue estincelle. (ロバーツ本の原文)
偉大な人類の若枝の後に、もっと偉大なものが準備する
偉大な主導者が何世紀も変革する
雨、流血、乳母、飢餓、火、そして疫病(有害な人)
空で長い火花が流れているのが見られる
訳の解説(の一部)
「appreste」は「apprester」の活用形で、「apprester」は1606年の辞書にも載っている。「troche」は、最近入手した古語辞典には載っているので、ノストラダムスの時代にもあったようだ。その意味は、「Sarment」とあるので「〔ブドウの〕若枝」。
3行目の「laict」という単語。20年位前に訳した時は、辞書にないので、仕方なく「laic(laique)」(俗人)としたが、古い辞書の横断検索では「laict」でヒットし、古語辞典の「lait」の項に「laict」の文字がうかがえるので、古語の「lait」で考えると「nourrice」(乳母)。よって、俗人を乳母に訂正。(他の例は、「nuit,nuict」「point,poinct」など古語の法則らしい。)
>9.互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、
10.造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。
ノストラダムスの6行詩48番の詩
古いカロンから人々はフェニックスを見るだろう
彼のつながりの最初であり最後である
フランスの中で輝き渡る。そして誰もが愛されるに値する人になる
すべての信義をもって長い間統治する
なんと(彼らは)決して彼の先駆者を持たないだろう
彼が彼の記憶すべき功績を返すだろう(先駆者を)
現時点では、「愛されるに値する人」は少ないのだろう。https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12328807586.html
https://ameblo.jp/hitorinomeaki/entry-12320579024.html
おまけ