羽目は対岸の火事ではない
常駐させてもめちゃくちゃ軽快に動作する「羽目」
長年の研究の末に辿り着いた結論は、「パッサッジョの認識不足」である!そこの存在すら感知しない声楽家らが、他の「表現」に関する事に意識を奪われ、余計に見えなく成った結果であろう。
要するに、パッサッジョにおける、重要な、せめぎ合いのマクロ構造を無視し、軽薄に、上辺の自由に囚われ、結果、パッサッジョでの僅かな歪みに気付かずに歌い続けた結果、加速度的に発声の構造は崩れ、劣化する羽目になるのである。
若い時期は、それなりに歌え、豪華なるプロフィールを構築出来ても、加速度的に劣化してしまうと、そのプロフィールには似ても似つかぬ有り様と成ってしまう現象をご本人達はどう受け止めて居るのだろうか?気付かないのだろうか?
「おかしな声、歌に聞こえたけど、プロフィールが立派なので自分の耳がおかしいのかと思っていた!」なんて人、少なからずいらっしゃるのでは無かろうか?
パッサッジョを甘く見ていると、自らの声に裁きを喰らうのである。パッサッジョを甘く見る事で、裸の王様を作り出してしまうのである。
滑稽であり、残念な話である。