先発の新提案。
まずは愛馬の話題ですが…
先発がアメリカ人に大人気
項羽「秦は、この拳が砕く!」
今月号の表紙を飾った我等が項羽さん。顔に比して、描かれた拳がデッサン無視して異様にデカいのが気になりました。項羽の力強さの比喩的表現なのか、項羽が見かけによらず、小顔なモデル系男子なのか。まぁ、武門の家柄とはいえ、一応は貴族の子弟ですからね。今回も主人公一味は登場しなかったものの、前線の黥布と帷幄の范増による解説で乗り切った感があります。特に范増。斯くも懇切丁寧に事態を説明してくれるキャラクターとは思いませんでしたが、或いは范増の解説にキチンと耳を傾けた項羽のほうを褒めるべきかも知れません。他人の忠告を無視することに定評のある項羽さんですから。そんな今回のポイントは4つ。尚、Kindle版では『龍帥の翼』は掲載されておらず、表紙も『終わりのセラフ』に差し替えられています……何かあったんですかね?
1.イメージって怖い
項羽「兵を分けるのは下策だろう」
英布に二万の兵を与えて先発させた范増の策に疑義を呈する項羽。自分一人でも秦を倒せると本気で思い込んでいそうな項羽が、兵力の分散云々という理屈を述べるのは意外な気もしますが、叔父の項梁が兵力分散の愚を犯したために敗死しているので、少し神経過敏になっているのでしょう。或いは項羽は『文字は名を記すに足り、剣は一人を倒すに足る。我は万人を相手にする道を究めたい』という言葉が表すように一介の武辺者ではなく、用兵に通じた人物なので、むしろ、今回のように兵法に詳しい設定のほうが正しいかも知れません。
キャラクターという点では范増も、章邯に対する勝算が見つからない時は項羽と共に死ぬと宣言するとか、なかなかに意外な一面を見せました。本作の范増は歴史に不朽の名を刻むことのみを目標としたドライな人物として登場したので、ある程度は項羽を焚きつける演技もあったとはいえ、斯くも熱血な台詞を吐くのは驚きです。『赤龍王』の范増は激情型の軍師であったので、今回はそれに近いかも。
2.秦軍ドクトリン
英布「これが……章邯の戦か」
戦というよりも土木工事を思わせる章邯の鉅鹿包囲陣。内側に敵を包囲しながら、外部からの攻撃に備える布陣はカエサルVSヴェルチンジェトリクスの名勝負として知られるアレシアの戦いを思わせますが、時系列的には章邯のほうが先達。ただし、アレシアの戦いでは内と外に敵を抱えていたカエサルのほうが勝利しています。
尚、この直前に章邯は、張耳や陳余に占拠されないよう、趙の都である邯鄲を物理的に消滅させているのですが、これも、戦というよりも土木工事の延長でしょう。この辺、万里の長城を代表とする巨大建造物の構築に長じた秦帝国の御家芸といえます。戦闘ドクトリンと言い換えてもよい。実際、章邯の率いる軍勢の多くは作中でも描かれたように、土木工事に従事させられていた元囚人なので、このテの作業は戦闘そのものよりも長けていたと思われます。尤も、章邯その人の用兵は情報戦と電撃戦がメインであり、この辺の司令官と軍隊の得意分野の齟齬が、秦軍の命運を左右したのかも知れません。本作同様、大抵の作品では秦軍圧倒的有利と描写される鉅鹿包囲戦ですが、上記のように当時の秦軍は正規軍と元囚人の混成部隊であり、楚の精鋭と真正面からぶつかるのはリスキーでした。大規模な塁や甬道は、楚軍と直接に干戈を交えずに勝利するための、章邯の苦肉の策であったのではないでしょうか。
3.今回もMVP
英布「章邯の戦……その穴を見つけなきゃならねぇんだ」
先回に続き、今回も物語の要所を担った英布。英布が担ったのは俗にいう威力偵察で、敵陣を『つつく』ことで相手の反撃を誘引。その反応から敵情を探るものです。相手に気取られることなく、敵情を探る隠密偵察をパッシブソナーとすると、自分の身を危険に晒す点でアクティブソナーと呼べるでしょう。アクティブソナーがパッシブソナーよりもリスキーな点も同じで、迂闊に『つついた』敵軍の圧倒的な攻勢を受けて、部隊が全滅する危険も大いにあります。自軍を全滅させることなく、しかし、少しでも多くの情報を引き出すために踏みとどまるというアンビバレンツな任務を見事に遂行しました。現時点では『穴』を見つけられなかった英布と范増ですが、章邯が大部隊を展開した野戦に応じる意思がないと判っただけでも、儲けものといえますね。敵の危険性や可能性を一つ一つ潰してゆく。それが用兵の本道です。
4.楚軍ドクトリン
項羽「進軍用意、死に場所は鉅鹿!」
勝つためではなく、死ぬために行くと宣言されたにも拘わらず、項羽の『狂』が乗り移ったかのように歩を進める楚軍。甑や釜を砕き、船を沈めて、天幕を焼き、兵糧を捨てるとか、普通の軍隊であればドンびきの行動ですが、それが逆に士気の高揚に繋がるのが楚人クオリティです。後年、項羽が補給を疎かにしたのは今回の成功例に味を占めて、
項羽「兵糧なくても何とかなるだろ」
的な発想に思い至ってしまったからかも知れません。こうした非常手段は何回も通用しないのになぁ。
尤も、圧倒的な指導者の元、剽悍極まる戦いぶりで大軍を圧倒するのが楚人、或いは南方人の気質なのも確か。遥かな後代、三国志の時代に『江東の小覇王』という項羽の異名を継承した孫策も、兵力差や補給の不備をものともせず、圧倒的な速度と兵力の全力投入で敵の準備が整う前に勝敗を決する用兵を好みました。技術力による土木工事を戦争に活用するのが秦軍のドクトリンであるように、こうしたノリと勢いに任せた戦闘スタイルが楚軍のドクトリンであったのでしょう。項羽は補給の概念が希薄であったのではなく、江南人の気質の長所に拠って覇王となり、その裏返しの欠点で滅びたといえるのかも。
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